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*オマケ*
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召天一周年記念式・2008年10月19日(日)は牧師と伝道師のもとに、121名(記名確認)の方々にご参列いただき、無事に終了することが出来ました。 本当に有り難うございました。 昨年は余りにも突然であったため、葬儀を身内だけの密葬で済ませてしまいました。 その後で (1)元勤務先のお友達だけのパーティのように盛り上がったお別れ会、 (2)さぼっていて名ばかりに所属していた男声合唱団による荘厳な追悼ミサ、 (3)三々五々の自宅への弔問・・・ そのどれにも参加出来なかった方々からの無言のわだかまりを 私も家内も姉にあたる娘も、この一年間通して申し訳ないと感じておりました。 昨日の記念式で一区切りがついたと、家内と娘共々ほっと安心いたしました。 一周年なので、色々のお声があっても実際にご参列いただける方は、少なければ30名くらいかな。多くとも50〜60名くらいと予想しておりました。 でも、もしご参列いただいて式次第が不足してはいけないと、教会側で130部用意してくれギリギリ間に合い助かりました。 ご案内はお友達中心にして、身内親類関係者と親の関係者は可能な限りご遠慮いただきました。故人を心から偲んで頂くことが目的だったからです。 その目的通り多くのお友達に参列して頂き、それで良かったと思いました。 本人も納得してくれたことと思います。 実は、命日は10月26日でした。教会の都合で19日に繰り上げました。 お友達の中には、ご自分のスケジュールを26日を避けてわざわざ19日に予定した方もおられたようです。申し訳ございませんでした。 一周年記念式は、お友達の皆様に取って本来のお別れ会になったように思いました。 本当に有り難うございました。 家内は、夜空に何時も明るく光っている星は息子だと信じています。 家の中にある写真に、毎日話しかけています。 遠出のとき、楽しいところへ出かける時、家族で出かける時、食事に出る時等等、いつもあの写真を連れて行ってます。 お友達も、あの写真を連れ出してくれているようです。有難いことです。 「マイニチ サンポト ヒルネ」でのクマさんの役目もどうやら終わったようです。 本人もヒルネを止め、タノシクヤスンデいただきましょう。 オヤスミナサイ 皆さんもご協力ありがとうございました。
とうとう10月になりました。 あの日まで、あと26日になってしまいました。 いまから思うと、もっと色々なことをしてやれば良かったのにと悔やまれますが、まさかこんなに早くあの日が来るなんて思いもしませんでしたし、考えることじたいが申し訳ないことでしたから。 主治医も神も仏も、あと26日しかありませんから、とは教えてくれませんでした。 一度だけでしたが「パパは、僕が死ぬときは病院のベッドがいいか、鎌倉の家がいいか」 と聞かれたことがありました。ビックリしましたが、それには答えずにやんわりと話を逸らしてしまいました。 「一度でいいから、家に帰りたい」 「海が見たい」 叶えてあげれば良かった。 文句一つ云わずに、あんなに苦しい検査や、抗がん治療を受けたのに、たった26日間の余命だったのなら、 叶えてあげれば良かった。 可哀想で、悲しくて、続けられません。
召天一周年記念式のご案内状を発送いたしました。一両日中にお手元に届くと思います。 昨年の葬儀が身内だけの密葬でしたので、今回の記念式は故人のお友達を主体にご案内状をお送りいたしました。 クマさんはガラにもなく、十年日記を付けておりますので、昨年の今頃も大変な暑さの日々があったようです。 そんな中、時々病院から呼び出しのケイタイ電話が入りました。出来るだけ毎日交替で誰かが病室を覗くようにしていたのですが、時に看護師さんから時に主治医の先生からの要請です。 主治医からの呼び出しは夕方が多く、可能な限り家内と二人で病院に向かいました。夕方帰る人が多い中を逆行して、病室へ向かうのは不安でドキドキしたものです。呼び出しのケイタイが鳴ったら、一人だけでも出来るだけ1時間以内に、遅くも2時間以内に到着出来るように体制を取っていました。 そのため、クマさんは昨年は一度も山へ登りませんでした。山どころか、東京も都心までで、それより遠方へは足を伸ばしませんでした。海外なんてとんでもない。ですから呼び出しが来たら、いつも1時間くらいで到着していました。 クマさんは、ケイタイが嫌いでしたが、緊急用に持たされてしまったのです。 ケイタイ電話が鳴ると今でもビクッとします。後遺症です。
過日、教会へ行って牧師ご夫妻と打ち合わせした結果、召天一周年記念式の日取りが決まりました。(前回の投稿では、昇天としましたがこれはカソリックの言葉であり、プロテスタントでは、「召天」だそうです) 命日は、昨年10月26日でしたが、26日は教会と牧師さんが予定が入っているため、 記念式は、10月19日(日)に決まりました。 昨年、お別れ会・追悼ミサ・弔問に来られた方で住所を記入して頂いた方、および本人と年賀状のやり取りをして下さった方のうち、その年賀ハガキがファイルされていて住所の判る方には、近い内に「ご案内状」をお送りします。 何分にも、本人と最後の”引き継ぎ”は全くしていなかったので、本人のプライバシーに関することは、今でも解らないことばかりなのです。 ご案内状の内容を、ここに掲載すれば良いのですが、先般このブログに黒装束が潜入したことでもあり、記念式の詳細は10月20日頃までに郵送させて頂きます。 訂正 詳細発送は 誤り10月20日 正9月20日頃までに郵送
もう10年以上前のことになりますが、クマさんは北鎌倉の円覚寺夏期座禅講座に参加した事があります。1週間泊り込みの合宿でした。初めての体験でしたので思い出深い物がありましたが、中でも二つの事は今でもハッキリ思い出されます。 1、長時間の正座の苦しかった事。座禅の姿勢はなんとか我慢出来たのですが、 正座の苦しさに耐えられずに、途中でリタイアした人が何人も出ました。 2、毎朝、足立管長さんの講話がありました。一つを除いて内容はすっかり 忘れました。 その一つは、管長さんご自身がお墓は持たないと云う事。私にとっては、 衝撃的な話でした。それがきっかけで、その後、お墓の研究会に参加した 事もありました。 自分なりの結論は、お墓無用。散骨希望でした。 スパゲッティ状態で、苦しい検査を何度も受け、文句の一つも云わず準ICU状態で闘病している本人に、お葬式のこと、ましてやお墓の事など、口が裂けても話題に出せませんでした。 会いたい人がいるかとか、金銭に関する事、たとえば銀行の通帳、暗証番号とかパソコンの暗証番号など絶対に話題に出せませんでした。そんな素振りも勘づかれてしまいます。彼の性格を知っている方でしたら、ご想像いただけるでしょう。 そんな事情で、最後まで葬式の事は聞かず仕舞いでした。もちろんお墓もです。 家内が側に置いておきたいと云うので、未だ納骨していません。 牧師様も私共の我がままを許してくれています。その好意に甘えていますが、 そろそろ1年なので、考えようかなと最近は心の準備をしています。
クマさんの事ばかり話題に出して、皆さん退屈された事でしょう。クマさんは、その事に気がついていたのですが、本来の話題に戻す余裕が全く無かったのです。ゴメンナサイ 昨年10月、”あの日”は余りにも突然やって来たため、予めの相談、計画、段取りを一切抜きで、ただただ自然の流れに従わざるを得ませんでした。 つまり、あの日の朝の教会への突然の電話を、偶然にも牧師様が直接取って頂いたので、洗礼を受けて居なかったのに、もしもの時は教会で引き受けて頂ける事になったのです。 本当に安心しました。有難かった。そして病院へ向かったのです。 だから一周年記念式は抜かり無く準備を進めたいのです、親心です。 先日、牧師様のご都合をお聞きして、教会へ打ち合わせに行ってきました。 今度は、教会にも牧師様にも出来るだけご迷惑をお掛けしないように準備して、 出来る事ならお友達の皆様にもお知らせしたいと考えております。 もう少しお待ち下さい。 今日は旧暦お盆の迎え火です。 教会の行事には関係ないのですが、近況をお知らせ致しました。
ああ〜どうしよう。お先真っ暗。頭真っ白。 小型機だから、緊急着陸しても、何とかなるだろう。 この際、機体が損害受けてもやむを得ない。初フライトで乗客数は極少ないから、心配ない。安全だから。後は、運を天に任せて・・・!!!! その時、乗客の中に指導教官が。。。。まさか、そんな偶然がある訳が無い???? しかし、地獄で仏に出会ったのです。 家内は、「Eが呼んでくれたのでしょう」 テキパキと機体立て直し、1時間後にはなんとか雲上に出て、緊急着陸を免れました。 後は枯葉マークでも、一度銀座でAppleピットインすれば、更新着陸出来るでしょう。 この日の夕食は、家内の知っている小さなレストランで仏様を囲んで3人で和やかに。 ここのビーフシチュウは、天下一品です。特に、この時は格別でした。 サンポトヒルネにいつの間にか忍び込んで、こっそり覗きに来た黒装束がいたのです。 残念ながら、クマさんは撃退方法を知らない。 関西のお友達に教えて頂いて、なんとか御退出して頂きました。 とにかく、IT情報化社会と云うところは、ご老体の住みにくい処ですわい。
今日、鎌倉は第60回記念の花火大会です。 彼の姪の中学校のお友達とアメリカ在住の親類のお友達が、泊まり込みで鎌倉に来ます。 狭い姪のマンションでは泊まりきれず、我家にも分散して宿泊客です。 家内は、息子が居ない今は、孫のために張り切っています。 連日の猛暑の続きで、今日も暑くなりそうです。 花火大会は、大変な人出になる事でしょう。思えば、昨年は花火大会どころでは無かったのです。 花火大会の様子は、2年前の8月10日前後の「マイニチ サンポトヒルネ」を参照して下さい。きっと、すばらしい写真が載っていると思います。 ところで、クマさんはHPなんとか離陸出来たものの、自動操縦を楽しむ時間もなく、着陸準備に取りかかったら、またまたトラブル発生です。 着陸空港が霧で視界ゼロ。まさか、そんな、どうしたら良いのでしょう。 管制官とやり取りしている中に、専門用語が分からない。 ええいとばかりに操縦桿を下げたら、これが”逆噴射”している、ああ〜どうしよう。
7/13に下山したまま何のご報告もせず、クマさんどうしたのと、あるいはご心配かけてしまったかも知れません。大変失礼いたしました。暑さ負けした訳ではございません。 目処がついたと思った、ホームページが最後の所で躓いてしまったのです。 やっぱクマさんには荷が重すぎたのかも知れません。 16日に一度”公開”にこぎ着けたのですが、どうも安定感悪く、 本日”re-launch" (シャレた言葉知っているでしょう?)いたしました。 今度はきっとうまく離陸してくれるでしょう。 と云う訳で、サンポトヒルネどころではなかったのです。 クマさんも精神的にだいぶ落ち着きましたので、”あの日”までの事、もう少し思い出すことに致しましょう。
ホームページの目処がつきましたので下山します。
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